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コラムCOLUMN

「我が職業人生奮闘記」 岩城 全紀

第2回
 ~特許事務所へ入所する前の寄り道
   (スキー学校、特許庁でのアルバイト)
  【前編】「弁理士以前」第二章
 話は逸れるが、前述の「株式会社マ*マ」を退社後、特許事務所に入る前の昭和62年前後に、福島県の磐梯山にある猪苗代スキー場にて、冬季のシーズン中にスキー学校のインストラクターのアルバイトを二冬行った。このように書くと、このコラムを読んで下さる方々は、当時の私は、スキーが上手なように聞こえるかもしれないが、せいぜいSAJ2級程度(2級といっても色々あるが底辺の方である)の腕前であり、私としては、もう一歩スキー技術を上達させたいと思って、イントラのバイトをやった次第である。

 このイントラのアルバイトであるが、今は廃刊となったスキージャーナルという雑誌のイントラの募集欄で、自分に合っていそうなスキー学校を見つけたことがキッカケである。志望動機の作文をスキー学校へ送付することで応募し採用して貰った。この志望動機には自身が学生時代に受けたスキーレッスンによって、スキーが理論的なスポーツであることを知り、他人にコーチングすることでスキーの楽しさをレッスン生と共有して役に立ちたいと云ったような事ことを書いた記憶がある。今思えば、赤面するような内容ではあるが、会社を辞めて、年金や健康保険等の一般的な社会保障制度もないところへ身を投じたわけで、当時の自分は向こう見ずだったとも感じる。
 このような経緯で所属したスキー学校の校長A・H氏は、大学が理系出身ということもあり、スキーマテリアル(用具)並びにスキーテクニックに対しての造詣が深く、レッスン終了後、毎日行われるミーティングではスキー全般に関して理論的に解説してくれ、大いに勉強させて頂いた。
 前述の様にスキー技術に関して心もとなさがある自分だったが、当時は空前のスキーブームの真っ盛りであり、修学旅行生や一般の人を対象に、グループレッスンによるイントラを勤めた。今思えば、その程度の腕前でイントラをしようというのは無謀なことだったのであるが、私は意外と向こう見ずに行動するところがあり、若気も手伝って何とかなるだろうという軽い気持ちだった。これは欠点でもあり、長所でもある。つまり行動しないと何も始まらないことは事実であり、例えば自分の適職を見つけるなどに限らず、やってみよう精神は大切だと思う。
 レッスンの合間には先輩のイントラにしごかれて、かなりツライ思いもした。スキー学校のユニホームを着てスキー場を滑る以上は、みっともない滑りをするなと、先輩イントラからキツく言われてもいたし、気持の面でも滑りが制約されていた点があったのではないかと思う。冬季の約3か月間はスキー学校が借りていた宿舎に寝泊まりして食事もそこで済ませ、下界に降りることはほとんどなく、毎日がスキー場と宿舎との往復というスキー漬けの日々で、正直相当のストレスがあった。しかし、ヘタクソな私を何とか一人前のスキーインストラクターにしようと、多くの先輩イントラから丁寧な指導を頂戴したことは、とても有難いことだった。
 イントラを辞めた後、一人で自由にスキーをするということは、これほど楽しいものだったのかということを改めて実感したが、イントラ時代は精神的にも技術的にも未熟だったのだろう。スキー学校を離れて、自分のスキーをやるようになったとき、イントラ時代の経験・トレーニングが大いにものをいった。

 なぜアルバイトをしてまでスキー技術を高めたかったというと、私の当時の夢は、札幌の、例えば「藻岩山スキー場」や、「盤渓スキー場」など、雪山の近くに家を建てて、そこで特許事務所を営みながら、仕事が終わったとき、気分転換を兼ねてスキーをして運動不足やストレスを解消したいと思っていたことがあり、スキーの技術に関して他人に教えることができる程度の技量は身に付けておきたいという思いがあった。余談だが、今の事務所兼用の私の自宅は、藻岩山が比較的近いところにあり、その夢は多少ではあるが達成できたと思っている。

 イントラ時代は下っ端ゆえに、人よりも早く起きて集会室の掃除をするなどの苦労もあったし、前述のように先輩イントラから厳しい指導を受けたりもしたが、インストラクターは、技術を教えることは当然であるが、安全で楽しくレッスン生にスキーをしてもらうのが何よりも最大の使命であり、自身が余裕をもった滑りができないとレッスンを上手くリードすることは出来ず、事故などの不測の事態を招くことも十分考えられる。先輩諸氏の厳しい指導もそれを考えると当然のことと云える。私の場合、幸いにも自分のレッスン中に怪我人を一人も出さなかったことは、今になって安堵している。

 一方でスキーというのは少し急な斜面やコブ斜面など、自分にとって難しく臆するような状況にアタックする冒険を経ることにより上達する部分もあるので、ケガをしない程度の頑張りはステップアップを図る上で必要である。このことは、スポーツに限らず、困難な仕事に挑戦するなど、自分を一段成長させる場面では必要なことであろう。
 スキーシーズンの狭間となる夏季の期間は、特許庁にて雑用のアルバイトを行った。これは何れ特許の業界に進むのだから、その現場である特許庁で働くのも一つの経験になるであろうとの軽い気持ちと、偶々見ていたアルバイト求人誌に同庁の募集があったためである。当時の同庁は新庁舎の建設中であり周囲のビルに分散して各部門が間借りしていたようであるが、私は飯野ビル前にあった通産省別館の建物に入居していた化学系の「高分子」の審査官部屋に配属され、審査官が特許出願を審査しているのを横目で見ることができた。
 
 正直いって仕事の内容などは何が何だか当時は分からなかったが、審査官の方々にはとても良くして頂き、昼食をおごって貰ったり、弁理士試験は難しいとの助言なども頂戴した。弁理士になりたいのだったら特許庁に入庁し、審査官としての実務を11年積めば資格を貰えるなどの情報も知ったのだが、この頃の自分としては公務員になるという気持を余り持つことができなかった。本音をいえば、国家公務員試験を突破する自信がなかったし、技術的な知識も、心もとなかったというのが正直なところである。
 審査官の方々とは、その後も交流が続き、一緒にスキー旅行に出かけて楽しく過ごさせて頂いたり、又、弁理士試験への意欲をさらに高める切っ掛けとなって、私には単なるアルバイト以上の効用があり、充実した青春の一コマであった。
                         第3回に続く

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