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コラムCOLUMN

「我が職業人生奮闘記」 岩城 全紀

第5回
~明細書アルバイト時代
   【前編】「弁理士以前」第四章
・事務所を退所し受験浪人生活
 仕事の話に戻るが、平成2年の初め、自分としては弁理士試験の勉強に打ち込みたいということで、一旦、池袋の特許事務所を退所し、アルバイトで明細書作成の補助業務を行うようになった。当時はフイルムカメラの全盛期で、私自身偶々所属した事務所がカメラメーカの特許出願を扱っていた。担当した技術・製品としては、コンパクトカメラ(F社)、レンズ付きフイルムユニット(商品名「写るんです」~同じくF社)、一眼レフカメラ(N社)が主であったが、当時その分野ではオートフォーカスの高速化及び高精度化(レンズ内駆動モータ又はボディ測距)、フイルム自動巻き上げの更なる高速化、ズームレンズの多群化などフイルムカメラの自動化を競っていた時代であった。具体例を挙げると、撮影時の自動露出制御(AE)は、いわゆる画面上を多分割して測光する、マルチパターン評価測光の時代に既に入っていたが、この技術においては測光点が数点程度、多くても20点に満たない程度という時代であった。また、その測光点をオートフォーカスの制御にも利用したりといったものがあった。デジタルカメラの特許出願は、ボチボチと出始めていたといった時代である。   明細書を作成していると、これから発売されるカメラのスペックが想像できるとともに、自分も早く弁理士となって、先端的な仕事に主体的に携わりたいと痛感したものである。 話は、横道に逸れるが、現在のデジタル一眼レフカメラ、ミラーレス一眼カメラが、測光点及び測距点が数十点となり、且つ撮像素子の画素数が優に5千万を超えている事などと比較すると、当時のカメラの技術程度は比べるべくもないが、デジタル化された今日でもフイルム時代の基礎的な技術は活かされている。しかし、当時は、その頃の半導体の性能、光変換素子の性能に、カメラ自体の性能・機能が制約されていた。現代のように半導体の微細化・集積化が進んだことに伴い、デジタルカメラの撮像素子(CCD,CMOS~現在はCMOSが主流)の高画素化が進み、又、撮像ソフト、制御ソフトの高度化も同時に進展し、デジタル写真は大判フイルムの画質を凌駕するに至っているのは皆様ご承知の通りである。技術の進歩は容赦ないと痛感する。 私はどちらかというと買いそろえたカメラ機材がフイルム(アナログ)ということもあり、フイルムからデジタルへの急激な変化に対し、複雑な思いを未だに持っている。しかし、デジタルカメラは、フイルムでは出来なかった撮影後の補正や現像といった画像処理がパソコン上で完結できるし、画像をハードディスクに劣化なく保存しておくことが出来たり、必要に応じてメールに添付して転送出来る等のフイルムカメラにはない利点がある。

・半導体について私見
 民製品のカメラの分野でデジタル化が概ね完了したのは2000年以降であり、音の分野でのCD(コンパクトディスク)の登場が1982年であることを考えると、結構遅かったということにはなる。画像のデータ量は膨大であり、これらのデータを処理し格納し得る半導体が長らく存在しなかったことが、デジタルカメラの普及に影を落とした原因であり、デジタルカメラも電子機器である以上、半導体の性能に大きく依存するのは当然のことである。動画のデジタル化に関しては、そのデータをデジタル用のテープに記憶することが主流だった時期があったが、現在は容量の大きなSDカード(フラッシュメモリ~東芝在社時の舛岡氏が発明)が一般化し、高精細な動画データを手軽に記録できるのは皆様ご承知の通りである。私自身は半導体について専門外で詳しくはないが、技術を扱う仕事をしている以上、無関心でいるわけにはいかないし、興味は持っているのである。
 
 半導体の性能が製品の性能に直結することはカメラの分野に限られないことであり、ここ25年間ほどで、半導体製造に完全に遅れをとった日本では、一例を挙げると液晶テレビ、有機ELテレビのパネル、CPU、AI用の半導体などに加え、かつてはお家芸であったステッパ等の一部の製造装置に関しても外国に依存する状況をもたらし、マスクやウエハ、切断装置、検査装置などのニッチな分野を除き、一時は世界を圧倒的にリードしていた国内半導体産業が衰退の憂き目に至っているのは研究開発の停滞や、経営のマネジメント不足がもたらした結果といえる。それに伴って、日本全体の技術力低下をもたらしているのは必然的な流れである。日本が繁栄を謳歌していた90年代前後には貿易摩擦が顕在化しており、国際政治的に世界情勢(主に米国からの圧力)が日本の一人勝ちを許さなかったことにも一因ではあるが、政策的・経営的な失敗があったことは否めない。日本における半導体の黎明期は、製造国も少なく作れば売れるといった状態であったと聞いており、時代的に特段のマネジメント(MOT~マネジメント・オフ・テクノロジー)も必要なかったのだろう。その後の低迷は失われた20年、30年などといわれ、メーカにはマネジメント戦略が必要であると声高に云われるようになったのは皆様ご承知の通りである(製造業に限らずではあるが)。

 最近になって外資系半導体製造メーカの進出の動きが日本各地で見られているが、北海道では、政府の肝いりで線幅2ナノ級(数年後には1.4ナノの半導体量産を目指している)の微細構造で、且つロジック半導体の製造を目指し、「ラピダス」という会社が2022年に設立されるに至っている。また、熊本県に台湾のTSMC社が誘致されたことも記憶に新しい。国産半導体の復活に大いに期待したいが、半導体産業の黎明期には、シリコン単結晶の製造、ウエハからのチップの切断装置、半導体の回路を描くステッパなど、競合する外国企業が少なかったことも日本にとって幸いしていた。今現在、半導体の各分野で多くの競争相手が存在し、且つ、先手先手の間断のない設備投資が必要となるなど、多くの困難が予測されるが、前述の「ラピダス」には多くの公的資金も投入されており何とかして成功してもらいたいものである。
 話はラピダスから少々飛ぶが、今後の日本のモノづくり人材に関しては非正規雇用者の割合を極力減らし、正社員として雇用する層を厚くしてほしいとも思っている。ここ30年ほどの日本のモノづくりの低迷は、非正規雇用の拡大と一定の相関があるのではないか。 バブル期以前の日本の製造現場では、開発・設計を行う部署と、実際にモノづくりを行う現場とが、良い連係が採れていたとも訊いているし、現場からの改善提案(いわゆる擦り合わせ)も非常に多かったと聞く。近年の我が国の状況は、製造現場を軽視し、短期的な利益優先主義に陥いっているように感じられるというのは言い過ぎだろうか。

 昨今の特許出願件数が減少は、バブル期の不良債権処理の遅れ、海外式の行き過ぎた成果主義の導入などが尾を引いていると考えられるが、目先の利益優先主義は人的資本の劣化を招くとともに、仕事に対するモティベーションの低下を招き、結果的にイノベーションが停滞し、案出される発明等が減少の一途を辿るのは当然の帰結である。メーカがファブレス化(工場の海外移転も含む)し、製造工場を持たないメーカが増えているのは、新興国の台頭や分業を進めてリスクの低減を図るという観点から止むを得ない部分もあるが、企画・設計だけを行い生産は丸投げするという姿勢は貴重な成長機会の放棄にも感じる。要は、研究・開発(企画・設計)と、生産・製造とのバランスを図る事が重要なのだと思う。我が国はモノづくりや農業、水産業など、一次、二次産業を基本に発展してほしいと私は考えている。産業構造を如何に構築するかは現状においても様々な議論が進められていると思うが、この事はエンドレスな課題であり、国家の行く末・在り方を決定づける重要事項だと思う。少子化、移民の問題など待ったなしの課題が数多く存在する現在、解決方向にリードする真の政治家、学者が現れることを願っているし、私も折に触れ意見を申し述べたいと思っている。

                          第5回次章に続く

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