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コラムCOLUMN

「我が職業人生奮闘記」 岩城 全紀

第7回
第二章~北海道ティー・エル・オー株式会社勤務時代(特許流通アドバイザー時代)
 【後編】「弁理士となってから」
 私が着任した平成12年7月は、同社の設立後間もない頃で、北海道大学を始めとする道内の各大学の特許制度に対する認知度も低く、技術移転の玉となる特許出願も皆無の状況であった。そのような中、まず、各大学の地域共同研究センターや研究協力課などを通じて、かような会社が設立されたことを、各大学の先生方に知ってもらう事が先決だった。
 北海道ティー・エル・オー株式会社の取締役役員は、国立大学である北海道大学、北見工業大学などの教授先生、北海道経済界の重鎮といった方々を擁しており、又、特許庁の元技監(前述のN・S先生)の方を技術顧問として迎え入れるなど、体制的には整っていたと云える。

 しかし、発明者となる大学の各先生方に、会社の性格、仕組みを知ってもらうには相応の時間が必要であり、本格的に発明が上がってきて、北海道ティー・エル・オーが出願人となる特許出願の件数が伸長するには、私の着任後1年ほどの時間が掛かった。
 同社の転機となったのは、北大内の事務局の一室を、会社の拠点として提供してもらったことが、切っ掛けになったように思う。その北大内に拠点を構えたことで、北大内外の大学での認知度・信用度が向上し、発明相談を受ける件数が急激に増えてきた。当時は学内に知的財産本部もなかったことから、大学内の特許出願の窓口として、産学官連携に対し経験は浅いが、意欲十分な若手の先生方からの発明相談が多かったのも頷けることである。

 また、ちょうどその頃、技術顧問のN・S先生が企画された「特許ビジネス講座」という、北大など理系の助教や講師などの若い先生方を対象とした、特許制度や技術移転に関する講座が、東京などから講師を招いて、北海道経済産業局の主催で行われたことが印象に残っている。今から20年ほど前の北海道は弁理士も少なく、大学の先生方の特許制度に対する理解もまだまだといった状況であった。この講座は、当時の知財後進地という状況を打破するために企画して実行されたと思われるが、講座の受講生からは数人の弁理士が輩出されたり、北海道ティー・エル・オーへの発明相談が増加する契機となり、さすがに中央官庁(経済産業省及び特許庁)で特許制度を牽引され、法改正にも携わられた方の企画力・人脈は大したものであると感じた次第である。

 一方、TLO内での私の具体的な仕事は、先ず発明を発掘し(発明者である先生から発明内容等をヒアリング)、そして、会社に持ち帰った後に、その発明についての先行技術調査を行うとともに、特許性や実施可能性(ライセンス先の有無)などを検討する。次いで、特許出願に値すると判断した場合は、発明を社内の技術評価委員会に上程し、この評価委員会にて、TLOとして当該発明を扱うかどうかを審議して決定する。勿論、上程する以前の検討段階で、既に特許性を阻害する先行技術の存在が確認されたり、学会発表等が行われていて特許法30条の新規性喪失の例外規定の適用も難しいような場合は、その結果をヒアリングした先生にフィードバックして、取り扱いを断念することも幾度もあった。

 TLOとして発明を扱うというのは、発明者である大学の先生と、TLOとが「特許を受ける権利」の譲渡契約を締結して、当該「特許を受ける権利」をTLOへ帰属させ、その上で特許出願に要する費用はTLOが負担するということである。そして、TLOは、特許出願を外部の特許事務所へ依頼するなどして出願手続を済ませる。さらに発明者である先生の協力のもと、当該技術を使ってくれる企業を探索して技術移転契約を結び、そのライセンス料を発明者である大学の先生に還元して更に研究を進めてもらい、残りの一部をTLOの維持費用、特許出願等の費用に充てるという、いわゆる「知的創造サイクル」を回すということが、達成できれば上出来となる。
 TLOが設立される以前の産学官連携、技術移転は先生方自らの人脈だよりであったり、大学の研究協力課が片手間的に行わざるを得ないなど、本格的なものとは程遠いものであった。そこで、産学官連携を加速させ、日本の技術力を取り戻すという大義のもと、前述の大学等技術移転促進法が制定され、各地に雨後の竹の子のように経産省の承認TLOが設立されるに至ったのである。
 しかし、大学の先生の発明といっても玉石混交であり、簡単にライセンス先など見つかるものではない。このころから、大学の研究費は、産業化が見込める分野などに重点配分されるようになってきており、先生方も研究費の確保に汲々とされておられるのが、傍から見ていても感じられた。この傾向は今も継続されていると思うが、産業に応用できない分野の軽視につながっているように思われるというのは、言い過ぎだろうか。

 要するに私の仕事は、先ず発明の発掘から始まり、その発明に関する特許性及びマーケット性の評価、社内手続、事務所への出願依頼、ライセンシングと一気通貫で行うことが求められたのであるが、正直、簡単に済む話ではなかった。発掘した発明に関してTLOとして取り扱わない場合、つまり、特許出願をお断りをするには相応の理由が必要であるし、そのことを伝えた際に、先生方から怒りをぶつけられることも多少あった。特許出願の有無は研究費獲得の際の一つの判断材料にもなるわけで、その気持ちも分からないわけでなない。しかし、大学の先生方というと、世間では雲の上の存在と思うかもしれないが、市井の発明者と本質は変わらないことも事実であった。
 通常、大学等の先生方の発明はシーズ段階のものが多く、実用化には企業との追加の共同研究が必要となるなど、技術移転には大学発明故の困難性を伴っていた。そのため、企業には研究段階から参画してもらうための一手段として、共同出願契約を企業とTLOとが締結し、共同で出願を行うことが多くなっていったのは、必然的な流れと云える。

 勿論、産学官連携に関し、経験があり慣れている先生の場合は、複数の研究テーマを同時進行させており、実用段階の研究、実用段階手前の研究、基礎的な研究などとういように、多くのチャンネルを有しているものである。このような百戦錬磨的な教授先生の場合は、TLOに委ねる発明を自らセレクトして提供されておられた。手練手管の教授先生から視れば、当時の私など、単に特許出願を費用も掛けずにさせるのに都合の良い存在というような、ヒヨッコ扱い的な部分もあったろう。知財コーディネータは、そのような発明を見抜く目利き能力が必要であることは言うまでもない。大学内には言葉は悪いが、海千山千の色々な方々が存在するのである。  

 私は一兵卒として、北海道内の大学を歩き回って発明を発掘していたが、ちょうどTLOに着任して4年ほど経ったころ、文部科学省は、国立大学の法人化という方針を打ち出し、主だった大学には特許出願や技術移転を専門に扱う、知的財産本部を設けるということが明らかとなった。一方で、全国に多く設立された承認TLOは経済産業省の所管であり、大学をめぐって一種の省庁間の対立構造が生まれつつあった。  

以下、参考までに文部科学省のWEBのリンクを貼る。
文部科学省 知的財産ワーキング・グループ報告書
文部科学省 TLOの形態とそれぞれのメリット・デメリット

 つまり、一口にTLOといっても、大学内の組織か、或いは、北海道ティー・エル・オーのように外部組織かという相違があるわけである。当然、大学(文部科学省)の全面的バックアップを受けた学内組織に対して、外部組織が太刀打ちすることは、資金的、人的な面で難しいことが予測されたし、文科省が本格的に乗り出すということは、大学の先生方の研究内容に関して一種の統制を加えると云った側面も有していた。学内組織とすることは、極端に云えば産業化可能な科学技術を偏重する気風が生まれ、基礎的分野や人文学的分野などの軽視を招く可能性すらあるのである。産学官連携の負の側面といえよう。このような状況を見るにつけ、私はTLOでの仕事に対し、一種の見切りをつけた格好となった。

 また、私の個人的な事情としては、TLOでの特許流通アドバイザーの業務の傍ら、休日を利用して副業的に行っていた、自己の特許事務所の仕事が徐々に多忙となりつつある時期であった。それゆえ、これ以上TLOの仕事を続けるのは、事務所の顧客に迷惑を掛ける可能性が高く、そのため私は平成17年3月をもって大学知財の仕事から手を引き、自分の特許事務所を完全独立させることを決意した。もう一つの理由としては、TLOでは外部の弁理士に出願書類の作成を依頼していたわけであるが、私自身も弁理士であり、自らの手で明細書を作成し、クライアントを直接サポートして喜びをともに分かち合いたいという気持も正直あった。

 かような次第で、平成12年から始めた大学知財の仕事は、国立大学法人北見工業大学の知財コーディネータ時代の1年間を含め、とりあえず5年間で幕を下ろしたことになる。その後、現在は自ら設立した特許事務所の所長となって、代理人として特許出願等の業務を行っている。
                         第8回に続く

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