その一 私の場合、正直に云うと、特許及び実用新案以外の仕事は自己の事務所を開業するまで、携わったことがなかった。このため、商標出願や意匠出願については、受験生時代の知識だけでは当然不十分であったが、友人の弁理士先生に教わったり、或いは既存の登録例を参考にして出願案を作成するといった感じであった。特に、北海道のような地域では、商標や意匠に関する相談がどうしても多いので、やらないわけにはいかないのである。 しかし、意匠にしても商標にしても、権利範囲という考え方は特許の場合と同様であり、比較的早期に慣れることはできた。現在の私は、事務所に弁理士が自分一人(事務スタッフは在籍)しかいない俗にいう一人事務所を営んでいるわけであるが、東京での特許事務所勤務時代の友人、前述の弁理士会の委員会所属時における友人が人的ネットワークとなって、特許の場合は自分の専門を超えた技術分野について助言を得ることができるし、商標の分野においては特許弁理士の自分にとって、やや困難な意見書等の作成や、外国での権利取得など、友人たちに大いに助けて頂いている。今後、訪れる事務所の承継課題に関しても、今までの人脈を利活用して進めることになるだろう。 また、特許出願の明細書等の作成などの実務面に関しては、独立したことで事務所勤務時代とは異なる態度で臨むようになった。というのは、事務所勤務時代は雇われているという意識が、どうしても根底にあって、俗な言葉で云えば、やっつけ仕事的な部分があったと、今になって思う。勿論、当時の自分は最善を尽くしていたつもりだったのだが、自分が事務所の所長となり、クライアントから直に報酬を頂戴する立場になると、仕事の品質を向上させる意識が高まるのは当然であり、1件の仕事に掛ける時間も多くなっていった。要するに、事務所勤務時代とは異なるプレッシャー、つまり出願することの意味(一義的には確実な権利化)を考えながら、仕事をせざるを得ないのである。さらに、健康管理に関してもサラリーマン時代は、定期的な健康診断もあったが、自営業者になると完全な自己責任となり、又、事務所の備品の調達、税金の確定申告等、やるべきことは非常に多いというのが実感である。従って、仕事は勿論、その他の事務所運営の重圧は相当大きいといえる。 収入面から視た場合、自営業者は、サラリーマンであれば退職時に支給される退職金はなく、一定年齢から支給される年金も少額となる状況が多いと思われることから、引退後の生活設計に関しては十二分に留意しておかなければならない。今は特許業務法人という経営形態が認められ、或いは別会社を設立するなどして、自分に給与を支払う形で厚生年金に加入することも可能ではある。しかし、特許事務所を営む個人事業主の場合は、引退後、基本的に国民年金にプラスして、サラリーマン時代の厚生年金しか収入はなくなる。 このため、自営業者の退職金と云われる小規模共済や、国民年金基金、イデコ等への加入も考慮しておかなければならない。これらの掛け金は自身の収入から充てることになるが、その支払った金員は社会保険料控除の対象となることから一応の節税にはなる。自営業は金銭面でも大変な試練を背負うことを覚悟しておく必要があり、自営業者の老後は一筋縄ではいかない。 さらに私の場合、自宅兼用事務所という少々特殊な形態での事務所経営であり、この形態には長所短所があると感じている。長所としては通勤に要する時間が必要ないこと、家賃や通勤費の負担がないこと、職住近接で仕事に集中できるということが主となる。 短所としては従業員を採用する場合に少々難があることが先ず挙げられる。従業員を雇用することで、事務所をある程度の規模にしていくことは、多くの技術分野に対応できるようになるなど、質の高い良い仕事を提供する上で必要なことであり、この点は私にとって未だに課題である。私の場合は、前述した人的ネットワークにより、一人事務所のハンデをある程度克服できてはいるが、気の合う仲間と連帯感をもって事務所を運営していきたいと思うことも正直ある。 独立当初は、仕事が増えてきて自宅での事務作業が立ちいかなくった時点で、オフィスを外に借りられれば良いとも思っていた。しかし、長年、自宅で事務所をやっていると、家賃負担のない気楽さに慣れてしまい、そのような意欲が薄らいでしまった事実は否めない。最近のコロナの流行では在宅勤務の効用が良くいわれたが、我々の仕事の特許等に関する明細書作成等の事務は、まさに在宅勤務向きの仕事といえるが、実務に初心者且つ未熟な場合は指導者となる方と、一緒の空間で仕事をすることがプラスになると思うので、自宅を事務所にするということは、それなりに難しい点があることに留意しなければならない。 その二 地方での事務所経営といった主題からは若干逸れるが、特許弁理士の主な業務となる明細書等の作成に関し、その文体・文章が同一となることはまずない。仮に、同一発明に関して、異なる弁理士が明細書を作成したとしても、その内容については弁理士特有の個性が出るものであり、この点は弁理士業務の特徴といえるだろう。「特許発明の技術的範囲」に関しては、標準的な弁理士が「特許請求の範囲」や「発明の詳細な説明」を作成すれば、解釈的には概ね同様の内容に収まると思われるが、その文体や記載の仕方、言葉の選択には個性が出るものである。また、商標弁理士の業務については、商標の構成や、使用する指定商品や指定役務に関し、弁理士の考え方が反映され、やはり同一内容となることは極めて稀といえる。以上の点から弁理士の仕事は、大量生産とは異なる個性発揮の場があって面白い。 今、弁理士の数は、私が合格した平成6年の4千人前後の時代から、大幅な増員が図られ、1万人を優に越えるに至っている。国は知財創造立国を目指すという方針の下で、弁理士試験の仕組みを変えており、一例を挙げると大学院修了者は二次試験における選択科目が免除されたり、一次試験合格者は翌年の一次試験受験が免除されるなど、以前より合格し易い内容となっていることは事実である。 これらの施策もあってか弁理士の志望者は増加しており、結果的に弁理士の層の厚さをもたらした。改めて思うが、弁理士という資格は、特に理系の人間にとって数少ない独立開業し易い資格といえるし、又、国際的な案件も多く、国内外で活躍することも本人の能力・努力次第で十分可能である。個人が取得する資格・仕事としては魅力的で、非常にやりがいのある職種といえるのではないだろうか。 余談だが弁理士試験は、一次試験が5月下旬、二次試験は7月下旬の暑い盛りに行われ、合格まで6年(平成元年~6年)を要した私にとって、その間、毎年行われる一次、二次試験はイベントのようなものであった。当時、平成2年、4年、5年と二次試験を受験して全敗したが、それらの二次試験はエアコンの無い大学が試験会場であり、汗だくになって答案を作成したことは、今となっては良い思い出である。私が最終合格を果たした平成6年の二次試験は、エアコンのある会場(東京理科大学・飯田橋校舎)で試験が行われ、北海道育ちの自分にはラッキーだった。試験に合格するためには、一種の幸運も必要である。当時の三次試験は、二次試験合格者に対して11月下旬に行われたが、一種の人柄試験的な側面もあり、弁理士試験の最大の天王山は、やはり二次試験である。 ただ技術的、学術的に非常に優秀な方が、弁理士になることに関しては、私は一抹の疑問を持っている。科学知識に関し高いポテンシャルを有する方には、企業や大学の技術者・研究者として製品開発に関与したり、研究活動を継続して成果を挙げてほしいと思う。弁理士には、それほどの優秀さは必要ないといえば言い過ぎであろうか。勿論、弁理士は法律にのっとって業務を行い、且つ、特許弁理士の場合は専門技術的な理解度の高さが要求されるので、技術の知識に加えて法的センス、バランス感覚といった点を併せ持っていなければならない。一方で、弁理士の仕事は、いわば縁の下の力持ち的な仕事がメインであり、物作りの仕事のような純然たる生産行為を伴うわけではなく、有能な方が知財業界ありきで最初から参入するのは技術的・学術的な面で損失ではとも感じるのである。 しかし、発明者が意識していない部分について、弁理士が創造力を発揮して特許権の範囲を拡げることは当然の職務とはいえ、特許弁理士ならではの職能だろうと思う。これによって、発明の外縁まで権利が及び、発明保護に万全を期すことが期待できるのである。かような点から見れば、弁理士も生産行為の一部を担当していると、云えなくもない。 そもそも弁理士の仕事は、特許法第一条に規定されているように、「産業の発達」に寄与することを目的に存在するわけであるが、産業のみならず、発明者の人格権を守る側面もあるように個人的に感じている。というのは、特許を取得するということは当然、発明自体が新規性を具備していなければならず、この点、当該発明は世界で唯一の存在であると特許庁の審査で認められることでもある。創作者が手塩に掛けた発明は、創作者にとって分身とも云え、我々弁理士は、このことを肝に命じて職務に当たる必要がある。 一方で、特許出願の手続、つまり明細書や図面の作成を弁理士に丸投げすることは、避けてほしいとも思っている。発明者が出願書類の作成に積極的に関与し、弁理士と共同作業を行うことは、納得できる良い権利を取得する上で必ずプラスに作用する。 例えば、発明の試作品が存在する場合は、私の経験上、特許取得の点で大いに役立つことが多い。試作品を製作し検討することで、問題点や更なる改良点が炙り出されるとともに発明の変形例も多様化し、このことを弁理士にフィードバックすることにより、広い権利範囲を持つ特許の取得に寄与する。頭の中だけで技術を考えるのではなく、実際のモノとして検討することにより、様々な事が分かるものである。 私見ではあるが、特許権は独占排他権である故、権利者の一人勝ちをもたらし、お金が儲かる制度と理解している方もあるかもしれない。しかし、その考え方は現実とは違う。一つや二つの特許だけで製品が成り立つわけはなく、その製品の実現には様々な人的要素、物的要素、流通させる苦労、規制される法令の遵守などが加わって、ようやく一つの製品として成立している。つまり特許ありきでは製品として成り立たないし、その製品の実現にかかわる様々な人たちの努力・苦労を忘れてはならないと思う。 謝辞「我が職業人生奮闘記」最終章へ |
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